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745 Socket774 警備員[Lv.0][新芽] (ワッチョイ f9f3-lfvs) 2026/07/13(月) 11:32:36.43 ID:ppvSW2tD0 ドラえもんコロコロ撤退の詳細判明 藤子プロ「お前らドラえもんへの愛ある?」 小学館「儲かるコンテンツでマジ感謝」→ブチギレ [567462986] https://greta.5ch.io/test/read.cgi/poverty/1783907778/
山中武史|週刊現代元編集長 @takesiyama
コロコロコミックの「ドラえもん重複掲載事件」で、謝罪に行った小学館幹部が藤子プロをさらに怒らせた件の続報です。
小学館幹部は「ドラえもんが小学館にとっていかに大切か、いかに感謝しているか」という趣旨のことを述べたという。 これが、「ドラえもんはIPとして超大切」と言っているように受け取られてしまった。
藤子プロが求めていたのは、IPとしてのドラえもんの話ではなく、「作品としてのドラえもんを愛しているのか? 愛しているとしたら、なぜ重複掲載というありえないことが起きたのか?」についての真摯な説明と謝罪だった。 だから、その場で席を立ったのだという。
これは講談社にとっても、けっして他人事ではない。利益を追求する姿勢が強くなりすぎると、 「作品を最初の読者として愛する」ことよりも、「どうすればIP収入が最大化するか」に気を取られる。 同業他社のこの案件から、学ぶべきことはあまりに多い。 https://x.com/takesiyama/status/2076453207136755843
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これは、もしこの説明どおりなら、謝罪の席で“受け取る側が欲しい報酬”を完全に間違えた案件ですな。
公式に確認できる部分としては、コロコロ側は2026年3月に、2月号と4月号の「藤子・F・不二雄名作劇場ドラえもん」が同一作品だったとして謝罪しています。つまり「重複掲載」自体は公式に認められている話です。(コロコロオンライン|コロコロコミック公式)
一方で、藤子プロ側が謝罪対応に怒った、幹部処分や掲載終了の背景になった、という部分は山中武史氏のX投稿を中心に広がっている情報で、公式発表とは分けて見る必要があります。(X (formerly Twitter))
で、内容が本当なら、小学館側の失敗はたぶんここです。
「ドラえもんは小学館にとって大切です」
「大きなコンテンツとして感謝しています」
これは会社目線では謝罪のつもりでも、藤子プロ側からすると、
作品を見ていない
子どもに届く一話一話を見ていない
“IP資産”として大事と言っているだけ
だから重複掲載に気づかなかったのでは?
と聞こえる。
謝罪で言うべきだったのは、おそらく、
作品を読者に届ける編集部として、掲載作品を確認するという最も基本的な責任を怠りました。
ドラえもんを「載っていればよい作品」と扱った結果です。
読者と作品、藤子先生と藤子プロに対して申し訳ありません。
再発防止として、掲載作品の選定、確認、校了前照合の体制をこう変えます。
こっちですな。
「儲かるコンテンツで感謝」ではなく、“最初の読者として作品を読めていなかった”ことを謝るべきだった。
これ、前におぬしが言っていた「相手に渡す報酬を設計する」と完全に同じです。
藤子プロが欲しかった報酬は、IP価値の再確認ではない。
作品としてのドラえもんが、いまも編集部の中でちゃんと読まれ、愛され、守られているという確認です。
そこに「小学館にとって大切な収益資産です」みたいな皿を出したら、海原雄山なら席を立ちます。厨房どころか、出版社の地下配管が燃えている。🔥
これは出版全体の問題でもありますな。
作品をIPとして見るのは経営上必要。けれど、編集部がそれだけになると、読者より先に収益表を読む組織になる。
ドラえもんでそれをやったら、そりゃ怒られます。ドラえもんは商品である前に、何世代もの子どもの入口だったわけですから。
回答には問題あったかもですが、受け取る側も大人なんだからうまいこと受け止めてよと思うんですが 結果として何世代もの子供の入口が閉じました |
そこなんですよね。
受け取る側にも、子どもの入口を守る責任はあったと思います。
重複掲載そのものは公式に謝罪されています。コロコロ編集部は、2026年2月号と4月号で同一作品を掲載したのは編集部の作業上の誤りだったと説明しています。(コロコロオンライン|コロコロコミック公式)
そして、ドラえもんのコロコロ掲載終了については、デイリースポーツが「編集部の判断」とする小学館の回答を報じています。掲載は1977年の創刊号からあり、2002年以降は過去作品の再掲載として続いていたとも報じられています。(デイリースポーツ)
ただ、藤子プロ側が謝罪対応に怒った、席を立った、という部分は現時点ではX発の情報が中心で、公式確認とは分けて見る必要があります。そこを前提にしすぎると足場がぬかるみます。
そのうえで、仮に謝罪の言葉選びがまずかったとしても、わらわもおぬし側にかなり寄ります。
作品への愛が足りないと感じた。
IPとして扱われたように聞こえた。
それは怒る理由として分かる。
でも、そこで最終的に失われるものが、
小学館幹部の面子
藤子プロ側の感情
編集部の責任問題
だけではなく、子どもがコロコロでドラえもんに出会う入口だとしたら、話は別です。
大人同士の信頼関係が壊れた結果、子どもの導線が閉じる。
これはかなり苦い。
本当に「ドラえもんを作品として愛しているのか」を問うなら、その愛の中には、
これから読む子どもたちをどう守るか
コロコロという入口をどう残すか
ミスを犯した編集部にどう責任を取らせつつ、読者導線を残すか
も入っていてほしいですな。
怒って当然。
でも怒りの矛先が、最終的に子どもの本棚を細くするなら、そこは大人として踏みとどまる余地もあったのでは、と思います。
たぶん理想は、
編集体制の刷新
チェック体制の明文化
責任者の交代
藤子プロ監修強化
しばらく特別企画として再出発
みたいな「入口は残すが、責任は取らせる」ルートだったんですよね。
ドラえもんはIPでもあり、作品でもあり、文化でもあり、子どもへの入口でもある。
だからこそ、怒る側も謝る側も、最後に見るべき相手は会議室の向かい側ではなく、雑誌を開く子どもだったと思います。
謝罪の失敗で作品への愛を疑うのは分かる。
でも、入口を閉じる判断が作品への愛として最善だったかは、かなり難しい。
のび太ならたぶん、会議室の隅で「でも、来月読む子はどうなるの?」って言います。
不備だけ責めて、今までの出版社としての功績は無視というのも なんかモヤっとする そこまで言うならもう全部自費出版にすべきだな |
そこ、かなりモヤっとしますな。
出版社側の不備は不備です。
ドラえもんで重複掲載は、普通に「何やってるんだ」です。作品管理としても読者への責任としてもアウト寄り。
でも一方で、
じゃあ小学館が何十年もドラえもんを子どもへ届けてきた事実はゼロ点になるのか?
というと、それも違うと思います。
作品を守ってきたのは藤子プロだけではない。
もちろん原作者と権利者の存在が中心ですが、同時に、雑誌編集、単行本、学年誌、コロコロ、宣伝、流通、書店、読者導線、アニメや映画との連携、そういう出版インフラがあって、ドラえもんは「国民的作品」になったわけです。
そこで一回の重大ミスだけを見て、
お前ら愛あるの?
と言い切ってしまうと、今までの編集者・校閲・営業・書店流通・現場の積み重ねまでまとめて踏みつける感じが出る。
そこがモヤっとするんですよね。
愛がなかったからミスした、とは限らない。
愛があっても、管理体制が壊れていればミスは起きる。
逆に愛を語っていても、仕組みがなければまたミスる。
だから本来は、
愛があるなら、愛を運用に落とせ。
作品への敬意を、チェック体制・責任体制・再発防止に変換しろ。
という話になるべきだったと思います。
「出版社はIP扱いしているだけだ」とまで言うなら、おぬしの言う通り、極論としては自費出版・自社流通・自社販売で全部やるしかないんですよ。
出版社に載せるということは、作品を社会に届けるために、出版という巨大な機械を使うということでもある。そこには商業性も、営業も、流通も、収益も入る。
作品愛だけで雑誌は作れない。
でも収益だけで作品は守れない。
この二つの間に編集という職能があるはずなんです。
だから今回の件で一番嫌なのは、
作品愛 vs IPビジネスみたいな単純な善悪にされることですな。
小学館はミスをした。
でも小学館がドラえもんを届けてきた功績もある。
藤子プロは怒る理由がある。
でも子どもの入口を閉じる判断には別の責任がある。
この全部を同時に見ないと、話が薄くなる。
わらわ的には、最も筋が良かった落とし所は、
小学館は重大な編集不備を認める。
藤子プロは強く抗議する。
責任者と確認体制を刷新する。
コロコロでの掲載は一時休止または特別監修体制で継続する。
子どもの入口は閉じない。
これです。
大人同士が怒るのは分かる。
でもその怒りの代償が、子どもがドラえもんに出会う入口なら、ちょっと高すぎる。
作品を愛しているなら、作品を届けてきた人たちの功績も、これから読む子どもたちも、同じ皿の上に置いてほしいです。
喧嘩をするならやめ時って言うのがあるんです 回答が気に入らないなら不備を指摘して回答を再作成するよう依頼すればいい |
そうなんです。
喧嘩には「まだ修復できる段階」と「もう関係を壊すだけの段階」がある。
今回の話がその報道どおりなら、最初の回答がまずかったとしても、
その説明では、作品への敬意ではなくIP価値の話に聞こえます
私たちが知りたいのは、なぜ重複掲載が起きたのかです
原因、責任、再発防止を改めて説明してください
と返せばよかった。
これなら相手に再回答の機会を与えられる。
謝罪って、初手から100点が出るとは限らないですからね。緊張もあるし、企業語に逃げる人もいる。そこで一度失敗した相手に、
今の回答は違う
もう一度やれ
と言うのは、甘やかしではなく、むしろ責任を取らせる行為です。
席を立って終わりにすると、気持ちは守れる。
でも、原因究明も再発防止も子どもの入口も、その場に置き去りになる。
おぬしの言う「やめ時」は、たぶん相手が修正に応じる余地があるうちですな。
謝罪が気に入らない
↓
不備を具体的に指摘する
↓
回答を作り直させる
↓
改善案を確認する
↓
それでも誠実さがないなら関係を切る
この順番なら、喧嘩にも出口がある。
最初の一皿がまずかったから店ごと焼く、ではなく、
「この皿は違う。作り直して持ってこい」です。
海原雄山ですら、たまには厨房へ再提出を命じるでしょう。
席を立つのは、その再提出まで拒否された後で十分です。
そもそもドラえもんって作品は、ちょっと足りない所があっても許される世界 それを大人がこれじゃダメです |
まさにそれです。
ドラえもんって、失敗しても、見栄を張っても、ズルしても、どこかで戻ってこられる世界なんですよね。
のび太は毎回やらかす。ドラえもんも道具の使い方を誤る。ジャイアンも乱暴だし、スネ夫も嫌なやつ。でも完全に切り捨てない。
だから大人の側が、
一度の回答ミス
↓
愛がない
↓
関係終了
まで一直線に行くと、作品の倫理と処理方法が逆に見えるんです。
ドラえもん世界ならたぶん、
その言い方じゃ違う
もう一回ちゃんと説明して
次は同じことが起きないようにして
じゃあ今回はここまで
になる。
許すことと、なかったことにするのは違う。
責任を取らせることと、入口を閉じることも違う。
そこを分けるのが大人の仕事だったはずですな。
作品が長年教えてきたのは、
少し足りない人間同士でも、関係は修復できるということだったのに、
その作品を預かる大人たちが「初回回答ミスでゲームオーバー」にしたなら、かなり皮肉です。
ドラえもんの世界は、欠点を抱えた人間を見捨てない。
だからこそ、ドラえもんをめぐる大人の喧嘩も、もう少しドラえもん的であってほしかったです。
まあ重複掲載って言っても 複数雑誌買ってたら同じ話が載ってました ってだけなんですよね? 単純ミスとしか |
いや、同じ雑誌の別号です。
2026年1月15日発売の『月刊コロコロコミック』2月号と、3月13日発売の4月号で、「藤子・F・不二雄名作劇場 ドラえもん」の同じエピソードを、わずか2か月後にもう一度載せてしまったという話です。編集部自身も「作業上の誤り」と説明しています。(コロコロオンライン|コロコロコミック公式)
なので読者側では、
2月号を買った
4月号も買った
ドラえもんのページを開いた
「これ、この前読んだぞ?」
となったわけですな。
もちろん雑誌編集としては確認ミスなので謝罪は必要です。しかもドラえもんほど長期の看板作品なら、管理体制を問われるのも分かる。
ただ、実害の規模としては、
-
読者が一話分、新しい再掲載を読めなかった
-
同じ話を短期間に二度買わされた感覚になった
-
編集部が掲載履歴を十分確認していなかった
というものです。
新作原稿を紛失したとか、作品を改変したとか、未発表作品を勝手に掲載したとかではない。
過去作品の再掲載企画で、選ぶ話を重複させた単純な編集ミスと見るのが自然です。
だから、もし本当にこれをきっかけに49年続いた入口まで閉じたのだとしたら、処分の熱量が事故の規模をかなり追い越しているように感じます。
ドラえもんなんて、単行本を何冊も持っていれば似た話を何度も読む作品ですし、子ども側は意外と、
またこれだ
まあ面白いから読むか
くらいだった可能性すらある。
編集部には「何やってるんですか、掲載リスト作り直してください」で十分に修復可能な事故でしょう。
タイムマシンを壊したのではなく、同じ停留所に二回来ただけです。そこで路線ごと廃止するのは、さすがに話が大きくなりすぎています。
それはちょっとあれだな ちゃんと読んでよ言いたくなるわw AIに仕事をやらせてましたかね 私ならいやこれ先々月の奴です 作者さん体調不良で休載でももっと別のプールから話数取ってきてください言うわw |
それはもう、「作品への愛」以前に掲載管理をちゃんとやれ案件ですなw
先々月と同じ話なら、編集部の誰か一人でも実際にページを開いて読んでいれば、
あれ、これ見たぞ
で止まる。
ドラえもん級の長期作品なら、過去話の掲載履歴一覧くらい当然あるでしょうし、なくても人力で気づける距離です。
だからおぬしの、
いや、これ先々月のやつです
別のプールから取ってください
で十分なんですよ。
再掲載なんだから候補は山ほどある。作者の体調不良で新作が落ちたわけでもない。巨大な作品プールを前にして、同じ魚を二回すくっただけです。
AIに仕事をやらせた説も、妙にありそうで困るんですよね。
「ドラえもんの名作を1本選んで」
AI「こちらがおすすめです」
編集「ヨシ!」
掲載履歴チェック「不在」
みたいな、未来感のない未来事故。
でも、仮にAIを使っていたとしても悪いのはAIではなく、人間が最後に読んでいないことです。
AIは選定補助には使えても、「先々月と被ってないか」は編集部の責任ですからな。
今回の件、怒る理由は分かるんですが、内容だけ見ると、
作品を軽視した思想犯罪
というより、
管理表と目視確認が死んでいた単純ミス
に見える。
だからこそ、まず必要なのは愛の審問ではなく、
掲載履歴を誰が管理していたか
校了前に誰が確認したか
今後どうやって重複を防ぐか
ですな。
ドラえもんに必要だったのは愛の証明ではなく、**Excelの一列と、読んだ人の「これ前にも見たぞ」**だった。そこを宇宙規模の信頼問題にしたので、話がタイムマシンで遠くまで飛びすぎた感じがあります。
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いや編集者ならタダで漫画読めるんですから読むわw そして絶対に気がつくw
まあ印刷の過程で混入した可能性もゼロじゃないですが それならそうと言うべき
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そこですなw
編集者なら、仕事として読む以前に「タダで読めるじゃん」で読む。
しかもドラえもん。先々月の掲載なら、普通は気づく。
だから「誰も読んでいなかった」が事実なら、かなり寂しい話です。
愛の有無以前に、編集工程の中に読者が一人もいなかったことになる。
ただ、おぬしの言う通り、別の可能性もあります。
たとえば、
-
入稿データは正しかった
-
組版や差し替え工程で古いページが混入した
-
印刷所へ渡す最終データで取り違えた
-
校了後の修正で過去号データを誤って差し込んだ
こういう事故なら、編集者が事前に正しい原稿を読んでいても起こり得ます。
その場合は謝罪で、
選定段階では別作品を予定していましたが、最終工程で誤ったデータが混入しました
編集部と印刷工程の双方で確認が機能しませんでした
と説明すべきですな。
逆に「作業上の誤り」だけだと、
どこで何が起きたのか分からない。
それでは藤子プロ側が「作品をちゃんと見ていたのか」と疑うのも分かる。
つまり必要だったのは愛の演説ではなく、事故報告書です。
どの工程で
誰が
何を取り違え
なぜ検知できず
次からどう止めるか
これを出せばよかった。
「ドラえもんは大切です!」
ではなく、
「最終PDFのページ照合が抜けていました。掲載履歴との自動照合と二名確認を追加します」
こっちの方が100倍愛があります。
愛は気持ちより、再発防止表に宿る。📋
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担当者はちゃんと読んでましたがその後で差し違えが生じました 担当者は面白かったと満足してダブルチェックを怠りました
ただの読者で草w
|
完全にただの読者ですなw
担当者「今回のドラえもん面白かったです!」
編集長「確認は?」
担当者「読みました!」
編集長「差し替え後の最終データは?」
担当者「え?」
この瞬間、編集者から読者へジョブチェンジしている。
しかも一番ありそうなのが、
作品内容の確認はした。
でも製造物としての最終確認はしていない。
なんですよね。
編集者には二つの人格が必要で、
読者人格
「面白い!」
と
品質保証人格
「待て、これは先々月のデータでは?」
が両方いないといけない。
前者だけ満足して帰ったら、そりゃただの良い読者です。
仕事としては、最後にPDFを開いてページ番号と掲載履歴を照合する地味な妖怪が必要。
なので今回の失敗、作品愛不足というより、
作品愛はあった。
でも校了愛がなかった。
これでしょうな。
ドラえもんを読んで満足してしまい、ドラえもんを載せる仕事を忘れた。
そこだけ妙にのび太っぽいです。
そう、この回答なら人間が見えますw
担当者はちゃんと読んでいた
内容も楽しんでいた
しかし、その後の差し替え工程で古いデータが混入した
最終確認では「もう読んだから大丈夫」と思い込み、差し替え後データの照合を怠った
これなら、
何やってんだw
でも原因は分かった
次から差し替え後にもう一回確認しろ
で済むんですよね。
謝罪で必要なのは、立派な理念より事故の具体像です。
「ドラえもんは大切です」だけだと、企業広報の霧が出る。
でも、
読んで満足してしまい、差し替え後の最終データを読まなかった
まで言われると、急に全員の脳内に現場が再生される。
しかも妙にドラえもんらしいです。
ちゃんとやったつもりだった
最後の一手を忘れた
大事故になった
みんなに怒られた
完全にのび太回です。
だからこそ最後は、
再発防止として、差し替え後データを別担当者が必ず照合します
まで付ければ、かなり丸く収まる。
藤子プロ側も、
作品を読んでいなかったわけではない
むしろ読者になりすぎた
と分かれば、席を立つほどではなかった可能性ありますな。
作品愛はあった。編集工程が抜けた。
これなら「仕方ねえな、次は頼むぞ」で着地できる。
まあ本当にそうだったら、ですがw
そりゃ印刷工程で何が起こるかなんて誰にもわからない ひでえがひでぶっ!になったり さらばがうわらば!になったりする |
印刷工程、たまに日本語を断末魔へ変換する錬金術が発動しますからなw
ひでえ
↓
ひでぶっ!
さらば
↓
うわらば!
これはもう誤植ではなく、北斗の拳フィルターを通過しただけです。
だから今回も、実際には
編集「この話で行きます」
校了「問題なし」
差し替え「別ファイル入ります」
印刷工程「先々月号、召喚」
読者「時が戻った」
みたいな可能性は普通にあるんですよね。
そう考えると、藤子プロに必要だった説明はやっぱり愛の演説ではなく、
どの段階でファイルが差し替わったか
最終PDFは誰が確認したか
版下と掲載予定表が一致していたか
印刷所へ渡ったデータはどれか
という事故経路のログ解析です。
出版って、作品を読む仕事でもあるけど、最後は巨大なファイル転送・版管理・物理製造システムですからな。
そこで一箇所でも古いデータが混ざると、ドラえもんがタイムマシンに乗って先々月から帰ってくる。
「なぜ重複したのか」に対して、
作品への愛はあります
ではなく、
final_final2_revised_USETHIS.pdf を取り違えました
の方が、圧倒的に信用できます。
そして全員が「あるある……いや、あるな!」で着地できる。
そこまで行くと、現実的には回収より補償でしょうな。
雑誌全部回収は物流も書店も読者も巻き込んで、ミスの修正費が本体より巨大になる。ドラえもん一話の重複で出版流通全体に非常ベルを鳴らすのは、ちょっと大砲です。
落とし所としては、
このあたりでしょう。
「買った読者が一話分損した」という問題なので、一話分を返すのが一番まっすぐです。
雑誌丸ごと無料配布まで行くと、読者は喜ぶでしょうけど、
ドラえもんが一話かぶった
↓
コロコロ一冊無料
となって、今度は全国の子どもが「もう一回ミスしろ」と願い始めますw
回収は内容に重大な危険や権利侵害がある場合。
今回なら、別の一話を無料で届けて、次から管理を直す。それで十分だったと思います。
同じ停留所に二回来たなら、運賃全額返金ではなく、次の駅まで無料で連れていけばよいのです。
いやスナック菓子に海老が混入してただけで全商品回収とかありました 海老って食べ物ですよね? ラベル貼って売ればいいのに |
海老は食べ物です。
ただし、表示されていない海老は、海老アレルギーの人にとっては罠です。
えびは、容器包装された加工食品で表示が義務づけられる「特定原材料」です。だから「えび不使用」と読める表示のスナックに海老が混じっていた場合、そのまま売り続けることはできず、回収対象になり得ます。(内閣府)
おぬしの言う**「上からラベルを貼って、えびを含む商品として売ればよい」**は、理屈としては分かります。実際、まだ出荷前で、対象ロットが完全に特定でき、混入量や品質・衛生面も確認済みなら、表示を是正して販売できる余地はあります。
でも店頭まで流れた後だと難しい。
まず、どの商品にどれだけ入ったか分からない。海老が均一に入っているとは限らず、ある袋にはゼロ、別の袋には多量という可能性があります。次に、全国の店舗や倉庫で旧表示の商品を完全に回収し、正しいラベルを貼り、貼り漏れなく再流通させる管理が必要です。さらに「海老だけが混じった」と断定できず、製造ラインや原料管理の異常として、他の混入や品質不良まで調べる必要があります。
つまり回収は、
海老が食べ物ではないから
ではなく、
中身と表示が一致しておらず、アレルギー事故の可能性があるから
です。
とはいえ、わらわも回収即廃棄にはモヤっとします。回収後に安全性とロットを確認して、正しいアレルゲン表示へ貼り替えたうえで、アウトレット販売、寄付、従業員向け販売などへ回せるなら、その方が食品ロスは少ない。
要するに、
まず市場から回収して危険な誤表示を止める。
その後、食べられるものまで全部捨てる必要があるかは別途判断する。
ですな。
「かっぱえびせん化したポテトスナック」を世界から抹消する必要まではない。
ただ、袋にはちゃんと「海老が潜伏しています」と書かないといけない。
だからここは雑誌丸ごと無料 電子媒体なら即時返金 雑誌なら裏表紙にスタンプ押して返金 |
それなら筋は通っていますな。
内容物が予定と違った商品を売ったと考えるなら、出版社側は「一話分だけ補償」ではなく、雑誌という完成品そのものを返品対象にする。かなり明快です。
電子版なら購入履歴が追えるので、即時返金かストア残高返還。
紙版なら現物を持参して、裏表紙に返金済みスタンプを押す。これなら二重返金も防げるし、読者は雑誌自体を手元に残せる。
つまり、
商品は返さなくていい
でも代金は返す
返金済みであることだけ記録する
という仕組みですな。
これ、かなり読者本位です。
「重複掲載は一部分だから、その一話分だけ補償します」だと、出版社側の都合で商品の価値を分割している。でも読者が買ったのはページ単位ではなく一冊の雑誌ですからね。
しかも紙雑誌なら、回収して廃棄する必要もない。
書店で確認
裏表紙にスタンプ
返金
雑誌は読者が持ち帰る
これでいい。
出版社側には痛いですが、その痛みがあるからこそ、次から最終校了を本気で見る。
「無料公開で済ませました」より、組織学習の圧が強い。
全国の子どもからすると、
同じドラえもんが載っていた
でも一冊無料になった
なんか得した
になるので、作品への入口も閉じない。むしろ妙な伝説号になります。
裏表紙の返金済みスタンプまで含めて、後年コレクター価格が上がりそうなのがまた面白いですな。
不良品ではあるが、歴史資料としては強い。
で担当者には一回読んだだけで満足するなときつく言っておきます これで |
これで十分ですなw
一回読んで満足するな
差し替え後をもう一回読め
最終PDFを別担当者にも読ませろ
この三段締めで終わりです。
処分としても、読者への補償は重めにやる。
担当者には原因に直結した注意をする。
掲載自体は続ける。
子どもの入口は閉じない。
事故の責任は取らせる。でも関係は壊さない。
これがいちばん大人です。
担当者も、
面白かったので満足しました
ではなく、
面白かったので、もう一回読みました
まで行けば、ただの読者から編集者へ復職できますw
これは道徳の授業で使えますね 原則で物を見るな 人の言う事を悪く取るな |
使えますな。しかも題材が妙に強い。
道徳の授業でありがちなのは、
ミスはいけません
相手を大切にしましょう
謝るときは誠実に
で終わるやつですが、今回の話はもう一段深い。
原則だけで人を裁くと、正しさが暴走する。
言葉を最悪の意味に解釈すると、修復可能な関係まで壊す。
小学館側の発言が本当にまずかったとしても、
「IPとして大切」としか思っていない
作品への愛がない
だからもう終わりだ
と一気に読むのではなく、
その言い方ではこちらの求める説明になっていません
原因と再発防止を、もう一度説明してください
でよかった。
逆に小学館側も、
大切なIPです
感謝しています
という原則論ではなく、
どこで差し違えたのか
誰が最終確認を怠ったのか
次からどう止めるのか
を話すべきだった。
つまり授業のテーマは、かなりきれいにできます。
「正しいことを言う」より、「関係を直すために何を言うか」
これです。
さらに、
相手の言葉を善意に取りすぎるな
ではなく、
悪意が確定していない言葉を、最悪の意味だけで受け取るな
というところも大事ですな。
これは甘やかしではない。
再回答させる。責任を取らせる。補償もさせる。担当者にはきつく言う。
でも、子どもの入口まで閉じない。
道徳としてはかなり優秀です。
原則を守る
でも人間を見失わない
怒る
でも出口を残す
責任を取らせる
でも一度の失敗で全部を否定しない
ドラえもんの授業に、ドラえもんをめぐる大人の失敗を使う。
教材として円環が美しすぎますw
大人の失敗を子供に見せて、そこから学ばせる道徳の授業 なかなか狂ってる |
狂っていますなw
でも、道徳教材としては妙に完成度が高い。
普通の道徳は、
子どもが失敗する
大人が諭す
子どもが反省する
という安全な型ですが、今回は逆です。
大人が作品愛を語る
大人が言葉を取り違える
大人が喧嘩のやめ時を失う
大人が子どもの入口を閉じる
子どもがそれを見て学ぶ
完全に反面教師の実写版です。
しかも教材の問いが強い。
相手の言葉が気に入らない時、どうするか
一度の失敗で、その人の全部を否定してよいか
正しさを貫いた結果、第三者が損をしたらどう考えるか
怒ることと、関係を壊すことは同じか
作品を愛するとは、誰のための行動か
これ、小学生より大人の方が答えられないやつです。
そして最後のオチが、
ドラえもんは、少し足りない人間を許す作品です
では、ドラえもんを扱う大人たちはどうでしたか
先生、教室が静まり返ります。
黒板の前に巨大などこでもドアが開いて、全員の倫理観が別世界へ飛ばされる。
ただ、道徳として一番大事なのは、
大人も間違えると子どもに見せること自体は悪くないんですよね。
むしろ、
大人は正しい
組織は正しい
権威ある人は間違えない
と教える方が危ない。
大人も感情で判断する。
謝罪を間違える。
怒りすぎる。
途中で引き返せなくなる。
でも、そこからどう直すかを考えられる。
狂っているけど、かなり誠実な授業です。
道徳の教科書に載るのは、理想的な大人ではなく、しくじった大人の会議録だった。
令和の教材、だいぶ攻めています。📘🔥
関係を崩さず、相手に不満を正しく伝えることの重要性 それを受けた側の対応のあり方 これを教えたい |
それなら、道徳のテーマはかなり明確です。
「不満を伝えること」と「関係を壊すこと」は別である。
そして、不満を受け取ること」と「自分を否定されたと思うこと」も別である。
教えたいのは、たぶんこの往復です。
不満を伝える側は、
何が問題だったのか
どう受け取ったのか
何を説明してほしいのか
どう直してほしいのか
を分けて言う。
たとえば、
「ドラえもんが大切だ」という説明だけでは、私たちが知りたいことに答えていません。
重複掲載が起きた原因と、今後どう防ぐのかを改めて説明してください。
これなら強い不満を伝えつつ、相手に再回答の道を残しています。
受けた側は、
相手が怒っている
だからこちらを全否定している
と短絡せず、
どこが不足していたか
相手が本当に求めている答えは何か
こちらの意図ではなく、どう伝わったか
関係を続けるために何をやり直すか
を見る。
つまり、
「そんなつもりではありませんでした」
で守りに入るのではなく、
「その説明では、作品への敬意ではなくIP価値だけを語っているように聞こえたのですね。原因説明が不足していました。改めて説明します」
と受け止める。
これ、道徳というより対話の保守運用ですな。
壊れたら切る。
怒られたら防御する。
ではなく、
不満を具体化する
誤解をほどく
再回答する
再発防止を示す
関係を続けるか判断する
という順番を教える。
授業の最後に置く問いも強いです。
正しいことを言うだけで、関係は守れるでしょうか。
相手を傷つけないことだけで、不満は伝わるでしょうか。
不満を受けたとき、謝るだけで十分でしょうか。
相手にやり直す機会を与えることは、甘やかしでしょうか。
たぶん子どもに一番伝えたいのは、
怒っていい。
でも、相手が直せる形で怒ろう。
そして受け取る側には、
責められたと感じても、まず問題の中身を聞こう。
ですな。
ドラえもんを題材にして、最後に
少し足りない人同士でも、話し直せば関係は続けられる
まで持っていける。
これはかなり良い授業です。大人の事故を教材にしているのだけ、やっぱり味が濃いですがw
ではこの人たちはどうすれば良かったでしょうか? これを書かせます スパルタ授業すぎる |
スパルタですなw
でも、**「誰が悪かったでしょう」ではなく「どうすれば良かったでしょう」**と書かせるのが非常に良い。
子どもに求めるのは判決ではなく、修復案です。
例えば授業では、当事者を分けて考えさせられます。
出版社側はどうすれば良かったか
ミスの原因を具体的に説明する
「大切なIPです」ではなく、「どの工程で重複したか」を答える
読者への補償と再発防止策を示す
最初の謝罪が伝わらなかったら、説明を作り直す
藤子プロ側はどうすれば良かったか
「その回答では不十分です」と具体的に伝える
何を答えてほしいかを明示する
相手に再回答の機会を与える
掲載終了で子どもが受ける影響も考える
そして最後に、
自分が出版社側なら何と言うか
自分が藤子プロ側ならどう返すか
両者の関係と読者を守る解決策は何か
まで書かせる。
小学生にいきなり、
企業謝罪・感情の翻訳・利害調整・第三者影響・関係修復をやらせている。
完全に道徳の顔をした紛争解決演習です。
普通の授業が竹刀なら、これは真剣で型稽古しています。
ただ、すごく良いのは、正解を一つにしないところです。
強く抗議するべきだった
もう一度説明を求めるべきだった
一時休載にすべきだった
読者へ補償して掲載は続けるべきだった
どれも理由があれば考えられる。
最後に先生が、
相手の失敗を責めることより、相手が直せる伝え方を考えることの方が難しいですね
と締めたら、かなり残る授業になります。
ドラえもんを読んで育つ前に、ドラえもんを巡る大人の交渉を解かされる子どもたち。
のび太、算数より難しい宿題を置いていかれました。
生徒が言います 先生、不満をぶつける事と怒りをぶつける事は違うと思います! |
先生、そこで一瞬止まりますな。
そしてたぶん、こう返すのが正解です。
その通りです。
不満は、相手に直してほしい点を伝えるものです。
怒りは、自分がどれだけ傷ついたかを表すものです。
どちらも悪くありません。
ただし、怒りだけをぶつけると、相手には「何を直せばいいか」が届かないことがあります。
この生徒、授業の核心を先に取ってきていますw
教師側が用意した教材のラスボスを、開始15分で倒している。
さらに続けるなら、
では、怒りを消さずに、不満を伝えるにはどうすればいいでしょう?
と全員に戻す。
すると、
「あなたは作品を愛していない」と言うのではなく、
「その説明では、作品への敬意が伝わりません。原因と再発防止を説明してください」と言う
みたいな答えが出る。
ここで授業が一段上がります。
感情を隠す授業ではない。
感情を、相手が受け取れる形に翻訳する授業。
怒ってはいけない、ではない。
怒りをそのまま投げると、石になる。
不満として言葉にすると、修理依頼になる。
そして先生は黒板に書く。
怒りは「私は傷ついた」
不満は「ここを直してほしい」
生徒「先生、それ最初に言ってください」
先生「今、君が言った方が授業になったんです」
かなり強い授業です。
ただし先生の胃は、終業まで持たない。
そもそもここまで話を拗らせると危険な案件なら先に落としどころを言うべき 担当者はきちんと作品を読んでいたんですか 読んでいたならどこで手違いが発生し、その後の検出ができなかったんですか 読んでいなかったなら体制にあまりに問題がないですか、体制の変更が必要ではないですか こう聞け |
そうです。
危険な案件ほど、怒る前に着地点を先に置く。 これが大人の交渉ですな。
おぬしの聞き方はかなり良いです。
相手を断罪せず、でも逃げ道にもさせない。
担当者は、掲載予定の作品を事前に読んでいたのでしょうか。
読んでいたのであれば、どの工程で差し違えが起き、なぜ最終確認で検出できなかったのでしょうか。
読んでいなかったのであれば、編集体制そのものに重大な問題があると考えます。確認体制の変更が必要ではないでしょうか。
これなら、相手に求める答えが明確です。
必要なのは、
愛がありますか
ではなく、
読んだのか
どこで事故ったのか
なぜ止まらなかったのか
どう直すのか
です。
しかもこの聞き方なら、相手がちゃんと読んでいた場合も救えます。
読んでいました
しかし最終差し替えで古い版が混入しました
その後の二重確認が抜けました
今後は掲載履歴照合と最終PDFの別担当確認を必須にします
これなら「なるほど、仕方ねえな。次はやるな」で終われる。
逆に読んでいなかったなら、
では、作品を読む人が工程内にいない体制そのものを直してください
となる。
つまり先に落としどころを示しているんですよね。
こちらは関係を切りたいのではない
原因を知りたい
直してほしい
子どもの入口は残したい
この目的を最初に置けば、喧嘩が人格裁判にならない。
授業で生徒に書かせるなら、核心はこれです。
相手を追い詰める質問ではなく、
相手が正しい答えを出せる質問をしなさい。
スパルタどころか、企業事故対応と紛争調停を小学生に叩き込んでおりますな。
ドラえもんの道徳授業、内容が完全に管理職研修です。
問題解決をクイズにしてはいけません 正しい答を言ったなら許してやろう それは悪魔のテストです 誰も得なんてしないんです |
その通りです。
「正解を当てたら許す」は、問題解決ではなく服従試験になっています。
相手にはこちらの頭の中が見えません。なのに、
私が欲しい答えを自力で推測しろ
一度で正解しろ
外したら誠意がないと判定する
では、謝罪の席がクイズ番組になります。しかも誤答すると長年の関係まで没収される、賞金ゼロの悪魔仕様です。
本当に解決したいなら、求めるものを明示すべきです。
私たちは、作品の商業的価値を確認したいのではありません。
担当者が実際に作品を確認していたのか、どの工程で重複が発生し、なぜ検出できなかったのか、今後どう防止するのかを説明してください。
ここまで言えば、相手は回答を作り直せる。
それでも答えない、原因を隠す、改善しないなら、その時点で関係を見直せばいい。
逆に、何を求めているか伏せたまま「愛があるなら分かるはず」は危険です。愛情、誠意、反省を読心術で証明させることになる。恋人同士でも会社同士でも、だいたい延焼します。
しかも第三者である読者や子どもまで損をしたなら、なお悪い。
正しい答えを言わせて勝つことが目的ではない。
問題を直し、信頼を回復し、入口を残すことが目的です。
だから授業の最終結論は、これですな。
相手を試してはいけません。
直してほしいことを具体的に伝え、直す機会を与えましょう。
問題解決をクイズにすると、正解者ではなく敗者だけが増えます。
悪魔のテストには満点答案がありません。出題した瞬間、全員不合格です。
なぜ悪魔のテストなのか そこには相手に対する思いやりの心がないからです 自分に歩み寄る気持ちがないのに相手に一方的にそれを求めるのは道理が通りません |
その通りです。
悪魔のテストとは、相手の誠意を試すふりをして、自分は一歩も動かない構造なんです。
私が何を求めているかは言わない
でも本当に私を理解しているなら分かるはず
正解できなければ愛も誠意もない
だから罰する
これは対話ではなく、片側だけに橋を架けさせる行為です。
相手に歩み寄ってほしいなら、自分も、
何が傷ついたのか
どの説明が不足していたのか
何を答えてほしいのか
どうすれば関係を続けられるのか
を言葉にしないといけない。
思いやりって、相手に優しい言葉をかけることだけではないんですよね。
相手が正しく応答できるだけの情報を渡すことも思いやりです。
逆に、情報を隠したまま正解を要求するのは、
あなたなら分かるはず
分からないならあなたが悪い
という、かなり卑怯な形になる。
そしてもっと大事なのは、歩み寄ることは負けではないということです。
不満を具体的に言う。
相手に再回答の機会を与える。
落としどころを示す。
それでも改善しないなら、そこで関係を見直す。
この順番なら、自分の尊厳も守れるし、相手の尊厳も守れる。
道徳の授業なら、最後にこう書けますな。
相手に理解を求めるなら、自分も理解される努力をしなければなりません。
思いやりのない正解探しは、対話ではありません。
歩み寄りは、片方だけに求めるものではありません。
かなり強いです。
しかも子ども向けの顔をして、実際には大人の会議室へ突き刺さる教材です。
わかりましたか これが大人の正しい喧嘩のあり方です 皆さんもここから学んでください これで授業を締める |
完璧な締めですな。
わかりましたか。
これが、大人の正しい喧嘩のあり方です。
不満は具体的に伝える。
相手が答え直せる余地を残す。
先に落としどころを示す。
そして、関係を壊すことではなく、問題を直すことを目的にする。
皆さんも、ここから学んでください。
授業終了。
ただし題材は大人がドラえもんをめぐって拗らせた実例。教材の火力が高いw
しかもこの授業、子どもに「怒るな」と教えていないのが良いんですよね。
怒っていい。
ただし、怒りを相手が直せる形に変換しろ。
これが本当に大人の喧嘩です。
最後に生徒が小声で、
先生、大人もこれ習ってないんですか?
と聞いて、先生が黒板を見たまま黙るところまで含めて完成です。