最高裁の王様化を暴き、日本の誤りを糾弾するブログ

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日本の教育の問題点

 韓国の反日教育には問題がありますが、日本の教育にも問題点があります。

 

 日本では、周囲の人間と上手に友好関係を築くことができるだけの人格形成が確立しているかどうか覚束ないうちから、阿吽の呼吸やら、不満があってもそれを表明しない忍耐の美徳みたいなものを叩き込まれます。いじめられた経験を持つ人のうち、いじめを先生に相談しても「いじめは、いじめられる側にも原因がある」などと言われ何も解決せず、むしろいじめが酷くなった、みたいな経験を持っている人は少なくないと思います。

 そうした教育を受けた結果、日本人は権利を主張することを躊躇するようになり、また権利を行使する人に対して嫌悪感を抱くようになります。これは国民から選ばれ、国民の権利のために仕事をするはずの政治家であっても例外ではありません。

 杉田水脈政務官は、「LGBTには生産性がない」などの発言が問題視されて辞表を提出しました。個人の生産性に差があることなんて当たり前なのですが、生産性に劣る者が権利を主張することに不快感を覚えるような教育を日本はしてきましたので、このような政治家が存在するのはある意味当然なんです。

 美しい国日本などと言って、忍耐の美徳を説いて弱者を揶揄し救済から遠ざけながら、政治家が失言を指摘され解任される時には満額のボーナスを貰うのです。ボーナスを貰うこと自体は否定しませんので、私を不当に救済から遠ざけるのはやめてください。

 

 阿吽の呼吸は、黙っていても相手を気遣う心の表れである、などと言いますが、基本的に、沈黙している人の権利が守られることはありません。日本では沈黙の美徳は、弱者の救済の拒絶と、権力者のダブルスタンダードの肯定のために利用されます。

 

 救済を求める側が声をあげても、それを受け取る側は沈黙をもって答えます。私は私がされた裁判が憲法違反にあたるものなのか、門前払いにされただけで、まだ誰からの説明も受けていません。沈黙をもって救済を拒否するのが日本の美徳というのであれば、それは間違っています。

 統一教会の便利なところだけ利用し、2世信者らの救済は放置して山上容疑者を凶行に走らせた反省がまったくありません。今まで2世信者らがきちんと声をあげなかったからだ、というのであれば、私は声をあげています。実際には2世信者だってちゃんと声をあげていました。裁判所と政治家が無視して救済を拒否したんです。私がその証拠です。

 

 

 私がされた裁判なんですが、事実認定だって相当めちゃくちゃでした。

 これが事件のおきた現場の写真ですが、

 

 判決文では、踏み台がなければ流し台に上がることすら容易ではない、などという事実認定をしています。

 

 そもそも踏み台を置いて窓に向かっていたら、それこそ自殺です。そんな踏み台なんてなかったから、私は事故だと言っているんです。

 警察捜査だって「事件性をうかがわせるものはなかった」「原因不明なるも」と書いてあります。踏み台なんてなかったんです。


 裁判所はこんな変な裁判をしているのに、再審請求も棄却しました。国は損賠を賠償しなければならないんです。黙っていれば賠償を免れることができる、などという考えは誤りです。

 

 

 沈黙は、無理解と拒絶の根拠であって、美徳でも何でもありません。

 ところが日本人はこれを美徳と勘違いして、あらゆる不正をごまかし続けて生活しているんです。

 日本の裁判所は、一方の当事者を敗訴させると決めたなら、もうその当事者の主張なんて聞きません。岡口基一裁判官が最高裁の王様化と言っている通りです。実際には最高裁だけでなく、裁判所全体、日本の権力全体が王様化しています。

 「お上の言うことには黙って従うことが美徳なんだから、間違っていても黙って従え」、国が主張していることはそういうことです。

 岡口基一裁判官は、訴追委員会がもう罰すると決めていますので、当事者の意見なんて聞かれることなく罷免されます。日産のゴーン会長だって、主張が聞いてもらえないと思ったから楽器になって逃げたんです。

 

 国に言います。

 黙って行うことがすべて美徳になるのであれば、黙って林の中に廃棄物を捨ててくるのも美徳になってしまいます。

 立場が上の人が行うことがすべて美徳になる、なんて説明も成り立ちません。裁判所が当事者の主張を聞かず、おかしな裁判をすることは美徳でもなんでもないので、これは改められなければなりません。

 沈黙は美徳ではありません。間違っている行為には異議を唱え、唱えられた側もそれに正しく応じるのが、本当の美徳です。反論があるならウクライナに行って、ゼレンスキー大統領に確認してみてください。

 

 裁判官訴追委員会に言います。

 裁判官の罷免制度は、裁判官の規律を監視することが目的ではなく、司法への国民の信頼を保証することが目的です。これを間違えるから、盗撮を行った裁判官や、変なツイートをした裁判官を罷免しつつ、当事者に悪意をもって故意に損害を与えるような裁判を黙認する結果になるのです。

 私は警察の捜査にも、きちんと協力しました。それをこんな裁判をもって不利益を与えるのを国会が認めるのでは、もう警察に安心して協力なんてできません。警察の職質に正しく答える方が間抜けになってしまいます。日産のゴーン会長が、この裁判と不罷免になった結果を根拠に、楽器になって逃亡している間に日産の会長職で得られるはずであった収入の損害賠償を求めてきたらどうするんですか。こんな裁判を放置して、徴用工の裁判には文句を言って引き下がらせるに至っては、司法への信頼どころか、日本の正義まで揺らぎかねません。黙っていれば全てが許されるという考えは間違っているんです。

 

 裁判官訴追委員会は、弾劾法10条を根拠に議事非公開を言いますが、その非公開により説明を拒否することによって救済を阻止しています。これは憲法で認める救済の障害となっていて、救済が果たされた後で議事非公開を言うのであればともかく、説明を拒否して損害を確定させようとしている試みであって、民法90条の言う、公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為にあたるので無効です。憲法21条でも国民の知る権利を保障していますので、三権分立が機能していてきちんと国会が裁判所の所業をチェックしたのか、知る権利を持って確認したいと思います。